コウチ ヨシクニ
Yoshikuni Kochi
河智 義邦 所属 教育学部 職種 教授 |
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 1993/03 |
形態種別 | 研究論文 |
標題 | 善導浄土教における法界身論 |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 真宗研究会紀要 |
掲載区分 | 国内 |
巻・号・頁 | (第26号),51-70頁 |
概要 | 『観無量寿経』には阿弥陀仏浄土の相を観ずる「観仏」の行が段階的に説示されるのであるが、その中、第八像観の経文の解釈を巡っては、中国・隋末唐初の時代に聖道門、浄土門の立場から様々な議論が展開する。いわゆる聖道諸師は若干の差異はあるものの、唯心弥陀説や唯識法身観、自性清浄仏性観などの理観(衆生心中の真理を観想)を以てこれを解釈する。また、法然や親鸞の浄土教思想に大きな影響を与えた善導はこれを立相住心の観、即ち事観(具体的な仏身仏土を観相すること)とする。両者の見方のポイントは、経文中の「是法界身、入一切衆生心想中。」の法界身をどう捉えるかにあり、聖道諸師は「法界」を真如・法性の異名として、「法界身」を無色無形の衆生心中の「法身」と規定する。これに対して善導は、「法界」を衆生界、「身」を外在的な仏身として、「法界身」とは衆生界に顕現する大悲の事仏身のことを指すと主張するのである。当論稿ではそうした相違点を踏まえ、『観無量寿経』の真意を伺った |