コウチ ヨシクニ
Yoshikuni Kochi
河智 義邦 所属 教育学部 職種 教授 |
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 1995/05 |
形態種別 | 研究論文 |
査読 | 査読あり |
標題 | 善導浄土教の人間観にみる大乗仏教的原理 |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 印度学仏教学研究 |
掲載区分 | 国内 |
巻・号・頁 | 44(1),64-66頁 |
概要 | 善導の人間観は、『観経疏』の「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫。曠劫よりこのかた常に没し常に流転して出離の縁有ること無し」の文言に代表されるように、厳しい自己把捉を通じて、人間の本質を凡夫であると捉えるのである。これは性悪説といった固定的なものではなく、阿弥陀仏・浄土を志向する中で体験された目覚めの境地から吐露された言葉である。その善導の人間観の根底には大乗空義が流れている。善導は一切衆生は空性(実体的存在では無いという点)で真如と異ならないが、それと同時に衆生には無始以来の悪性が備わっているという大乗仏教原理に基づく人間観を根底にしている。当論では、善導が衆生の存在を本質的に空とおさえつつ、仏の知見によって信知される罪業性に目覚めることによって、仏凡(仏と凡夫・衆生)の「不一不異の不一性」に重点を置く浄土教の立場を明確にしていることを明確にした。 |