基本情報 |
■ 専門分野
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■ 最終学歴
久留米大学大学院 比較文化研究科 博士後期課程 単位取得後退学
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■ 保有学位
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研究業績 |
■ 研究テーマ
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■ 著書・論文等
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■ 学会発表
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社会活動・地域貢献 |
■ 所属学会
1. |
1999/10~ |
日本社会学会 |
2. |
2001/05~2010/03 |
西日本社会学会 |
3. |
2001/07~ |
日本社会分析学会 |
4. |
2002/08~2011/03 |
環境社会学会 |
5. |
2002/09~2003/07 |
∟ 第27回環境社会学会セミナー現地事務局員 |
6. |
2002/09~ |
日本都市社会学会 |
7. |
2002/09 |
∟ 第20回大会開催校準備準備委員会事務局長 |
8. |
2004/04~ |
日本保健医療社会学会 |
5件表示
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■ 委員・役員等
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■ その他
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メッセージ |
■ 授業紹介
人は、互いに関わり合いながら、四苦八苦して「個としての生」を全うします。それが、始まりも終わりも見えない「種としての生」の過程を成します。私たちが生きている世界(あるいは、私たち自身の営み)は多様で複雑で、とても「わかりにくい」ものです。それゆえに先人たちは世の理(ことわり)を見出そうと して思考を重ね、来し方行く末に思いを馳せてきました。その営みは細分化して今日の「科学」となりました。夏目漱石は「草枕」で、「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ」と書き、それを芸術家の仕事であると説いています。私は、文芸も宗教も医学も物理学も、「束の間の命を、束の間でも住みよく」するために人間が創造し続けてきたものだと思います。医療者が働き掛ける対象は、 言語と知識を用いて、他者と関わりながら、個としての寿命を全うする、生活者としての人間です。そのlifeからsciencesを捉え返してみませんか。
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■ メッセージ
進路を選ぶということ
「将来、何になりたい?」と問い掛けられたのは、何歳頃までだっただろうか。幼少の頃は別として、職業というものを意識するようになってから、私はこの問いに即答できた記憶がない。小学校の卒業アルバム掲載用に「何になりたいか」を書かされ、思い浮かばなくて困ったことを覚えている。それに比べて「将来、 大物になりたい」と書いた同級生は大したものだった。
大学に入学したのは四半世紀以上前のことになる。文学部で社会学を専攻したが、何かに「なる」ことを目標に勉強したわけではない。公務員試験や教員採用試験の受験勉強に打ち込むことのできる同級生がうらやましくもあった。私の大学時代は、目的地を目指して歩くのではなく、進みたい方向を確かめるための、道草と迷子の時間だった。 大学卒業後は、いわゆる「プログラマ」になった。大学での専攻とこの仕事に直接の関係はない。ただどちらも、興味があって選んだという点は共通している。 結局、この仕事は6年で辞めて大学院に入学したが、開発現場で得た知己と経験に助けられて現在の私があることは疑いない。
進路選択はいつでもそうだが、時間の制約の下で何らかの必要性に背中を押され、また同時に彼岸の魅力に手を引かれ、その二つの力の間で跳ぶ決心をして、着地した場所から次のゲームが始まる。迷うことは必ずしも楽しいことではないし、どちらかといえば辛いものだけれど、選択の余地があるということは幸運なことだと思いたい。
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