研究業績
|
ヤマト ショウヘイ
Shohei Yamato
大和 昌平 所属 神学部 総合神学科 職種 特任教授 |
|
発表年月日 | 2022/06/25 |
発表テーマ | 日本における浄土仏教とキリスト教との対論 |
会議名 | 第16回全国研究会 |
主催者 | 日本宣教学会 |
学会区分 | 全国学会 |
発表形式 | 口頭(招待・特別) |
単独共同区分 | 単独 |
国名 | 日本 |
開催地名 | 関西学院大学 |
開催期間 | 2022/06/25 |
発表者・共同発表者 | 大和昌平 |
概要 | 芦名定道先生の基調講演に即して言えば、キリスト教の救済論に酷似する浄土仏教に対して、近世のイエズス会および近現代のプロテスタント宣教の前提として、いかなる対話が行われたのか。その対話はいかなる意味を持ったのだろうか。
日本準管区長カブラルや巡察師ヴァリニャーノらは、浄土仏教に遭遇してマルチン・ルターの救済論との類似性に驚いている。そのため救済論の展開を避け、魂の不滅性と来世における賞罰に備えることを主旨とする倫理的キリスト教を伝えようとした。日本人修道士ハビアンは日本宗教に対して福音弁証する『妙貞問答』を著したが、後に背教している。「後生の助かり」を提供するのはキリスト教のみであるとハビアンは結論づけたが、「後生の助かり」は浄土真宗の布教用語の踏襲でしかなかった。浄土仏教との対話を避けたため、その救済論に飲み込まれる結果となったのではないか。 近代のプロテスタント宣教により文語訳聖書が殊に知識人の教養書として読まれることになった。倉田百三の戯曲『出家とその弟子』はベストセラーとなるが、そこでの親鸞は新約聖書のイエスのごとく描かれている。悪人こそが救われると説くキリスト教との類似性のゆえに、浄土仏教は改めて近現代の日本人の知的関心を掻き立てた。親鸞における宗教的実存にキリスト教に対峙できるものがあることが論じられ、『歎異抄』は現代日本の古典として尊重されている。 このような日本宣教における浄土仏教との対話において明らかになったのは、阿弥陀仏も極楽浄土も仏教における慈悲の思想の神話的作為であり、特別な知恵の獲得(覚り)をめざす主知主義的な仏教の本質は浄土仏教においても変わらないことである。とすれば、三位一体の神との人格的交わりに招かれるキリスト教の救済の全体性こそ、浄土仏教と明らかに相違するキリスト教の独自性であることが、今後日本において弁証かつ宣教されなければならないのではないか。 |