研究業績 |
■ 著書・論文歴
1. |
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論文 |
‘Guattari and Japan’, in Félix Guattari in the Age of Semiocapitalism: Twenty Years After, edited by Gary Genosko, |
2. |
2017/09 |
論文 |
Ecosophy and Planetary Writing : on Chernobyl II , in Planetary Consciousness and Fukushima, edited by Christoph Thouny, Palgrave |
3. |
2017/03 |
著書 |
『増補版 アーバン・トライバル・スタディーズ』 (単著) |
4. |
2016/11 |
著書 |
『四つのエコロジー:フェリックス・ガタリ論』 (単著) |
5. |
2016/11 |
論文 |
Deleuze&Guattari and Buddhism : Toward spiritual anarchism through reading Toshihiko Izutsu, in Deleuze and Buddhism, Palgrave |
6. |
2016/06 |
著書 |
『モノたちの宇宙:思弁的実在論とは何か』スティーヴン・シャヴィロ著 (単著) |
7. |
2016/06 |
著書 |
『荒野のおおかみ:押井守論』 (単著) |
8. |
2015/11 |
論文 |
「人文系BF私大を再活性化するためのいくつかのアイディア」 現代思想 |
9. |
2015/10 |
論文 |
「The Wrong Goodbye,あるいは<かくれホワイトヘッド>について 現代思想 |
10. |
2015/02 |
論文 |
「反知性主義に抗うためのいくつかのアイディア」 現代思想 |
11. |
2013/03 |
著書 |
『思想の不良たち:もう一つの一九五〇年代論』 (単著) |
12. |
2011/03 |
論文 |
The Theory of Semantic Articulation in Izutsu Toshihiko’s philosophy 和光大学表現学部紀要11 |
13. |
2010/07 |
著書 |
『思想家の自伝を読む』 (単著) |
14. |
2009/04 |
著書 |
『日本のヒップホップ』、イアン・コンドリー著 (単著) |
15. |
2009/03 |
論文 |
The Vestige of Vanishing Mediator: for the future memory on Tanigawa Gan 和光大学表現学部紀要09 |
16. |
2008/10 |
著書 |
『リズムサイエンス』、ポール・D・ミラー著、今西玲子との共訳 (単著) |
17. |
2008/03 |
論文 |
‘Infancy and Critical Theory’, in academic journal Position, 2012, forthcoming Bohemian Travelogue of Kida Minoru : An Attempt of Ethnographic Turn in the Post War Period of Japan 和光大学表現学部紀要08 |
18. |
2006/09 |
著書 |
『ブラック・アトランティック------近代性と二重意識』ポール・ギルロイ著、毛利嘉孝、鈴木慎一郎との共訳 (単著) |
19. |
2004/04 |
論文 |
「言葉と物、表現-------ある実験大学の死」 和光大学表現学部紀要05 |
5件表示
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全件表示(19件)
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経歴 |
■ 学歴
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■ 職歴
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その他 |
■ 教育活動
・1998年4月、和光大学人文学部文学科に、メディア論その他担当の助教授として着任。
・2003年4月、和光大学表現学部表現文化学科教授に昇格(2000年4月、人文学部は表現学部に改組)。
・2007年4月からは表現学部総合文化学科教授、現在に至る。
表現文化学科では、主としてメディア論、都市論、文化研究について担当した。総合文化学科においては、日本思想ならびに日本文学のトランスローカルな文脈からの読みなおしを講義している。一応はアニメや音楽などについての「学生サービス」のコマも毎年出しているが、現在の和光生に関心のある作品や領域と、こちらの研究領域にかなり大きなずれがある(たとえば、今の和光生は海外のサブカルチャーや対抗メディアに関心がうすく、学科学生の慣れ親しむ日本語環境のネット文化やJ ポップにこちらは全く関心がない)。ゼミでは様々な表現ジャンル、地域や時代を横断する比較文化・思想・文学研究を試みている。方法論や論及対象は海外の哲学、思想、社会学、文学を含む文化研究、批判理論に近い。卒業論文の指導においては、教員が批評の守備範囲にしている表現ジャンルについては指導を受け入れている。「本を読まない学生とはつきあわない」「鬼のように遊び、修羅のように学ぶ」・・・これらを学生とつきあう場合の最低限の合意ラインにしている。
共通教養においては「現代思想の地平」を担当する。和光生のスキル/キャリアアップのため、あえて英語で講義/議論する授業、コマがあってもいいのではないかと考えはじめている。同時に、英語と仏語の原書購読を再開するかどうか悩んでいる。現在の和光大学が日々おしすすめる大学像(面倒見のいい大学、普通の大学)からすると適性を欠いた教員である。近年、フリースクールやオルタナティブ系の小教室を訪ねたり、セルフエデュケーションに取り組む親子や家族などをフィールドにすることがあり、この成果を和光の教育系の授業に活かしたり、取り入れることができないか考えている。文部科学省による指導要領のいいなりの教員養成課程の犠牲になっている若く逸れた感性の行き場に心を痛めている。DSM-V にもとづく発達や学習障害の規定に多大な疑問をもっており、こうした精神の生政治的管理に屈しない教育モデルを模索している。
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■ 国際学術交流
アムステルダム大学のInstitute of Network Cultureのワークショップや研究活動に毎年夏期に参加している。2004,2005,2006,2012年、Association of Asian Studiesで発表を行なった。2000年以降現在まで、ザグレブ大学、コーネル大学、ニューヨーク大学(NYU)、マサチューセッツ工科大学(MIT)、ロンドン大学ゴールドスミス校、モントリオール大学などで断続的に特別講義をしている。冬学期セメスター(一月〜四月)、モントリオールのマッギル大学東アジア学科で客員教授として教えた(2007~2012)。海外の大学で一セメスターを教えてほしいというオファーは、マッギル大学はじめいくつかから打診はされている。しかし和光大学は教員の海外における研究、教育には熱心でなく、一種のパワハラではないかと途方にくれている。教員の研究・教育機会を削ぐ悪平等はやめてもらいたい。五年おきほどに海外からの研究留学生がいる。
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■ 研究活動
2005年ごろまでは文化研究(特にクラブ/レイヴ/野外パーティ文化、アニメ文化)、メディア論、都市論を研究の三つの柱にしてきた。その後、制度化の著しい文化研究(カルチュラル・スタディーズ)やメディア研究(media studies)とは縁を切り、軸足をもともとの専門の社会思想(史)やメディア論(media theory)に戻しつつ、上記の三つの視角からの批評を文学や映像、音楽の領域で展開している。近年はフェリックス・ガタリの思想をいくつかの視角から読み解いている。まずエコクリティカルな視点からガタリ晩年のエコロジーやエコソフィーの思想を分析、解釈している。またガタリと日本の戦後思想、文学の関係を安部公房のテクストや、安部とガタリの友情の軌跡から考察している。他に井筒俊彦の宗教哲学、言語哲学を英語圏に紹介する仕事にも取り組んでいる。
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■ 和光3分大学
和光3分大学
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■ 和光大学リポジトリ
リポジトリ
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