研究業績 |
■ 著書・論文歴
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経歴 |
■ 学歴
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■ 職歴
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■ 現在の専門分野
日本文学 (キーワード:日本近代・現代文学、戦争文学、戦後文学、ルポルタージュ、演劇、サブカルチャー)
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■ 所属学会
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社会活動 |
■ 社会における活動
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■ 講師・講演
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■ 委員会・協会等
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その他 |
■ 教育活動
2014年4月、和光大学表現学部総合文化学科に、日本近代・現代文学担当の専任講師として着任。2018年4月より、准教授。
総合文化学科において、主として日本の近代・現代の文学と文化についての科目を担当する。小説・戯曲・評論・ノンフィクション・詩歌はもとより、演劇・映画・マンガ・アニメーションなど多様なジャンルを、「今とここ」における私たちとの関わりの中で柔軟かつ主体的、批判的に受容し、それらをふまえた新しい表現を受講者にうながす。
講義のトピックスは、「日本近代・現代文学史」、「戦争文学を『戦闘・戦場・戦争』から読みなおす」、「戦後文学の再発見」、「ホラー論と怪物論」、「フィクションとノンフィクションの臨界から『現在』を照射する」、「社会的隠蔽の系譜と暴露の試みとしてのルポルタージュ論」、「現代文学におけるメディア・ミックスの意義と可能性」、「カウンターカルチャーとしてのサブカルチャー」など。
ゼミナール「現代文学のメディア・ミックス」は、現代の文学(小説・戯曲・ノンフィクション)をとりあえずの起点にして、過去から現在まで様々なメディアで独自にもしくは相互に展開される魅惑の「物語」を、ひとつひとつ具体的に考察する。メディア・ミックスに注目する意義は、諸メディアの特性の確認をふまえるにとどまらず、諸ジャンルを連帯させる「物語」のコノテーションを可能な限り明らかにしうることにある。本ゼミナールでの卒業論文の研究対象は、いわゆる純文学やエンターテインメントはもちろん、最新のライトノベル、最短のツイッターノベルまで。最新の対象を確かな文学・文化研究の手法で精読することで、リアルを異化し私たちの現実に変更をせまる文学・文化の意義を受講者と共に考える。
上記の担当科目のうち、複数が国語科教職免許の「必修科目」であり、ゼミナールも「教科に関する科目」である。ともに、中学高校の現代文授業を展開する際に必要な、作品を精読する技術に関わる。扱う作品によっては、非常勤講師の経験から中等教育の授業を一部再現しつつ、大学での「文学研究」と中等教育での「国語教育」の差異と共通点を示すなど、国語科教員養成にも益するよう心がけている。
「プロゼミ」では、読み考え書き話し合う能力を総合的に涵養し、かつ受講者の学習・就職意欲を高めるため、社会人としてすでに活躍する身近な年長者(保証人を含む)へのインタビューとそれを基にした記事作成を主要な課題とする。
なお講義および演習には、以下の大学および大学院で非常勤講師として担当した科目を発展的に引き継ぎ、和光大学の学生に合わせて洗練した科目が含まれる。早稲田大学文学部・文化構想学部(2009年度~現在)、亜細亜大学(2010~2013年度)、早稲田大学大学院文学学術院(2013年度)。
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■ 研究活動
研究テーマは、主に四つ。
第一に、近代・現代文学および文化における能楽の影響(創造的継承)の研究。
より具体的には、近代にとっての異物=能楽を手がかりに現在を相対化し超えようと試みた三島由紀夫の文学的営為の研究(作家論、作品論、文学思想論)と、能楽を独自に取り入れた北村透谷、泉鏡花、夢野久作、郡虎彦、野上弥生子、山崎正和、石牟礼道子らの作品研究(能楽観の変遷も含む)である。博士論文の書籍化『三島由紀夫と能楽――「近代能楽集」、または堕地獄者のパラダイス』(2012年11月 勉誠出版)で、近代国民国家の時局により変化するカノンとしての能楽と、そんな能楽を無批判に近代・現代の文学や演劇の足掛かりとする風潮とを批判的に確認したうえで、それに抗う三島由紀夫の現状否定(戦後の生きづらさの徹底的な表明)として能楽表象を意義づけた。
今後は三島由紀夫研究を踏まえさらに広く深く、伝統と革新とがせめぎあう現在の能楽や、能楽と関わりながら新たな展開を探る現代演劇、そして、ゼロ年代へ至るサブカルチャーの表象する能楽の研究に取りくむ。
第二に、ノンフィクションとフィクションの臨界点について。
事実を切り取り真実の記録をめざすノンフィクションの視点と、想像力によって飛翔するフィクションの視点。双方の営為が、これまで戦争、労働、貧困、病、差別、情報の隠蔽……などを捉え、それぞれの厳しい現実を文学的表象として定着させてきた。
両者が対立的対立ではなく共同的対立、すなわち現状変更へ向けて共闘するのはどのような場合なのか。第一のテーマとも重なる石牟礼道子研究、および「核状況を拒むセカイへ/セカイから――ナウシカ、AKIRA、エヴァンゲリオン、そしてCOPPELION」(2011年12月)を皮切りに、「今とここ」が抱える諸問題について、研究を進めている。
第三に、戦争を記録すること、および戦後文学・文化の現在性。
日本の文学史上もっとも陰鬱かつ豊穣な時期といえる戦後派以降、現代文学(小説・戯曲・評論・詩歌など)は戦争の総括に多くの時間と作品を割いてきた。しかも「新しい戦争」の時代、とりわけ9・19(安全保障関連法案成立)以降の私たちにとって、戦争は形を変えつつも再び身近なものとなった。
そんな現在を自ら考え主体的に生きるためにこそ、多くの戦争文学や文化、主に直近のアジア・太平洋戦争(十五年戦争)に関わる表象は、必読である。過去の暴力的であり痛ましくもある事実の再確認というだけでなく、戦争前後と戦時下の人々の生活と心のありようから、あらゆる人々にあらゆるレベルで影響する近現代の戦争について考え、私たち一人ひとりの現在と未来の"生"を見つめるという意味において。
本テーマは第一・第二の研究テーマと関わりつつ、戦後すぐ私小説作家としてまず頭角を現した水上勉の研究、すなわち第四のテーマとも連動し、私の研究業績の全てに底流するといってよい。なお、日本の戦争・戦後文学および戦争に関わるルポルタージュは、和光大学において毎年複数の関連講義を開講しており、担当科目の基幹をなしている。
第四に、水上勉研究。
社会派ミステリーというジャンルにおいて、巨悪を暴露するのが松本清張だとすれば、底辺を生きるものたちに終始寄りそったのが作家水上勉といえる。公害問題をいち早くとりあげ、貧困を繰り返し描き、それでいて卓越した人間ドラマを構築し続けた稀有なストーリーテラーの意義は、「今とここ」においてこそ再読されるべきであろう。
かつての人気作家でありながら大衆文学と軽視され研究が盛んでいない現状において、初出と単行本間の異同の整理や、既存の生前全集にも年表にも記述のないいわゆる「未確認作品」(他名義作品を含む)などの基礎研究から進めている。あわせて、映画化や舞台化をされた著名作や、今こそ評価されるべき多くの作品について作品論の執筆を開始しており、数年以内の単著単行本の刊行をめざしている。
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■ 和光3分大学
和光3分大学
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■ 和光大学リポジトリ
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