研究業績 |
■ 著書・論文歴
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経歴 |
■ 学歴
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■ 職歴
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■ 現在の専門分野
教育社会学, 教育学, 社会学 (キーワード:少年非行、いじめ等の教育問題、青少年問題、社会構築主義)
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■ 所属学会
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■ 資格・免許
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■ 授業科目
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社会活動 |
■ 社会における活動
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その他 |
■ ホームページ
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■ 教育活動
・これまでに担当した授業
「教育社会学」「生徒指導・進路指導論」「現代教育論」「現代社会と人間」「教育学」「教育制度」「教育方法論」「スタディスキル」「入門演習」「総合演習」「生徒指導の意義と今日的課題」「生徒指導事例研究」「現代社会と生徒指導」「子どもと教師の関係づくり」「学校教育における現代的課題と対応」「いじめの理論と指導の実際」等。
・和光大学における担当授業
「教職キャリア研究A」「教職キャリア研究B」「プロゼミ」「教育社会学演習」「心理と教育(オムニバス)」L「学校インターンシップA」「学校インターンシップB」「学校インターンシップC」「初等教育方法(情報通信技術の活用含む) 」「いじめ・不登校の教育学」「教育社会学」
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■ 研究活動
・研究テーマについて
私の研究テーマは、この社会が子どもの「心」や「感情」に対してどのような考えを持ち、またどのような実践を行っているのかを明らかにすることにあるといえます。
たとえば「いじめ」で考えてみましょう。「いじめはよくない」。そんなことは誰でもわかっています。でも「いじめ」は起きる。なぜだろう?多くの人はそう思うはずです。しかし「そもそもいじめってなに?」と考える機会は多くないかもしれません。最近では「本人が嫌だと感じたらいじめだ」という考えが定着しつつありますが、それでは本人が嫌だといえば、なんでもいじめになるのでしょうか?もっと厄介なのが、はたからみたらちょっとおかしいな、と思うことも、本人が「あそびだ」といっていたらどうでしょう。あるいはそのどちらでもなかったら…。「いじめ」という物体があるわけではありません。その所在は被害者とされるひとの「気持ち」にかかっているのです。「そんなのきちんと観察して感じ取ればわかる!」という意見もあります。でもその「気持ち」だって、固定的なモノではありません。実際私たちは日常生活でしばしば他者の「気持ち」を読み違えたり、誤解したり、すれ違ったり、さらには自分の「気持ち」さえよくわからなかったり…なんていう経験をします。ごく少数の親しい間柄や自分自身でもそうなのです。なので、数十人の子どもたちの「気持ち」を頑張れば正しく感じ取れるという意見には、やっぱり賛同できません。そんな厄介な「子どもたちの気持ち」を、学校は、そしてこの社会はどう扱って「いじめ」に取り組もうとしているのか…。大変な難題です。
こういった問題は、「非行少年を更生させる」とか、「子どもたちの個性を理解し指導する」とか、あるいは「クラスのみんなの気持ちをひとつにする」とか、そういったことにも通じます。ついつい私たちは、子どもの、というよりも人間の内面的な事柄を、とりあえずモノのように仮定して話を進めますが、これはかなりの「力技」だといえるでしょう。その結果、もしかしたら大事な諸々のことが切り捨てられたり存在しなかったことにされたり、あるいは当人の考えてもいないような「お話」が生み出されたりするかもしれません。
私の研究に一貫しているのは、そういった「力技」に疑いの目を向けながら、子どもと社会の関係のありかたについて考え直す、というテーマになります。
・研究手法について
私は社会学の立場から、上記した関心で研究活動を行っています。その際用いるのが「質的研究」という手法で、ごく簡単に言えば数値化されないデータの「質」を読み解く、というものです。これまで用いてきたデータは、インタビューや参与観察の記録、新聞記事、明治・大正時代の学校教師の記録、裁判記録や判決文、ニュース番組やテレビドラマ、漫画などなど、よくいえば多岐に渡り、わるくいえば節操がありません。
これらの素材を「データ」として扱うわけですが、そこでのスタンスは「ひとびとが経験している世界を読み解く」ということにあります。ある風変わりな方法論を打ち立てた社会学者は、ひとびとが「見えているが、きづいていない」ことを明らかにすると宣言しましたが、そんな発想に共鳴しながら研究を行っています。
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