教員データベースTOP
photo
    (最終更新日:2024-07-30 12:08:30)
  イナバ コウイチ   INABA Kooichi
  稲葉 浩一
   所属   和光大学  現代人間学部 心理教育学科
   職種   准教授
研究業績
■ 著書・論文歴
1. 2023 論文  「書評 竹原 幸太 著『立ち直り・甦りの教育福祉学 少年司法の軌跡と甦育』」 『教育学研究』 90(4),595-597頁 (単著) 
2. 2022 著書  『囚われのいじめ問題 ―未完の大津市中学生自殺事件』   (共著) 
3. 2022 論文  「書評『社会のなかの「少年院」―排除された子どもたちを再び迎えるために』(少年の社会復帰に関する研究会編,2021,作品社)」 『図書新聞』 3534頁 (単著) 
4. 2022 論文  「達成のない課題としての『児童生徒理解』―教師たちの語りから」 『北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要』 (12),139-151頁 (単著) 
5. 2021 その他  『更生保護学事典』   (共著) 
全件表示(15件)
経歴
■ 学歴
1.
(学位取得)
2. 立教大学大学院 博士後期課程単位取得満期退学
■ 職歴
1. 2022/04~ 和光大学 現代人間学部 心理教育学科 准教授
2. 2022 北海道教育大学大学院 非常勤講師
3. 2022 北海学園大学 非常勤講師
4. 2017~2022 北海道教育大学大学院 教育学研究科 准教授
5. 2014~2017 尚絅大学 文化言語学部 講師
■ 現在の専門分野
教育社会学, 教育学, 社会学 (キーワード:少年非行、いじめ等の教育問題、青少年問題、社会構築主義) 
■ 所属学会
1. 青少年問題学会
2. 日本教育学会
3. 日本教育社会学会
4. 2023/09~ ∟ 代議員
5. 日本矯正教育学会
全件表示(6件)
■ 資格・免許
1. 2016/10 専門社会調査士
■ 授業科目
1. いじめ・不登校の教育学
2. プロゼミ
3. 教育学
4. 教育実習事前事後指導
5. 教育社会学
全件表示(10件)
社会活動
■ 社会における活動
1. 2022/04~2023/03 旭川市いじめ対策に関する有識者懇談会 委員
2. 2019~2022/03 旭川市いじめ防止等対策連絡協議会 会長
3. 2019 帯広市生徒指導連絡協議会講演 講師
4. 2018 旭川市教育委員会・生徒指導協議会講演 講師
5. 2018 富良野市教育委員会「いじめに関する講演会」講師
全件表示(6件)
その他
■ ホームページ
   伊藤茂樹氏研究会
   所属研究チームwebサイト 北澤毅氏研究会
■ 教育活動
・これまでに担当した授業
「教育社会学」「生徒指導・進路指導論」「現代教育論」「現代社会と人間」「教育学」「教育制度」「教育方法論」「スタディスキル」「入門演習」「総合演習」「生徒指導の意義と今日的課題」「生徒指導事例研究」「現代社会と生徒指導」「子どもと教師の関係づくり」「学校教育における現代的課題と対応」「いじめの理論と指導の実際」等。
・和光大学における担当授業
「教職キャリア研究A」「教職キャリア研究B」「プロゼミ」「教育社会学演習」「心理と教育(オムニバス)」L「学校インターンシップA」「学校インターンシップB」「学校インターンシップC」「初等教育方法(情報通信技術の活用含む) 」「いじめ・不登校の教育学」「教育社会学」
■ 研究活動
・研究テーマについて 
 私の研究テーマは、この社会が子どもの「心」や「感情」に対してどのような考えを持ち、またどのような実践を行っているのかを明らかにすることにあるといえます。
 たとえば「いじめ」で考えてみましょう。「いじめはよくない」。そんなことは誰でもわかっています。でも「いじめ」は起きる。なぜだろう?多くの人はそう思うはずです。しかし「そもそもいじめってなに?」と考える機会は多くないかもしれません。最近では「本人が嫌だと感じたらいじめだ」という考えが定着しつつありますが、それでは本人が嫌だといえば、なんでもいじめになるのでしょうか?もっと厄介なのが、はたからみたらちょっとおかしいな、と思うことも、本人が「あそびだ」といっていたらどうでしょう。あるいはそのどちらでもなかったら…。「いじめ」という物体があるわけではありません。その所在は被害者とされるひとの「気持ち」にかかっているのです。「そんなのきちんと観察して感じ取ればわかる!」という意見もあります。でもその「気持ち」だって、固定的なモノではありません。実際私たちは日常生活でしばしば他者の「気持ち」を読み違えたり、誤解したり、すれ違ったり、さらには自分の「気持ち」さえよくわからなかったり…なんていう経験をします。ごく少数の親しい間柄や自分自身でもそうなのです。なので、数十人の子どもたちの「気持ち」を頑張れば正しく感じ取れるという意見には、やっぱり賛同できません。そんな厄介な「子どもたちの気持ち」を、学校は、そしてこの社会はどう扱って「いじめ」に取り組もうとしているのか…。大変な難題です。
 こういった問題は、「非行少年を更生させる」とか、「子どもたちの個性を理解し指導する」とか、あるいは「クラスのみんなの気持ちをひとつにする」とか、そういったことにも通じます。ついつい私たちは、子どもの、というよりも人間の内面的な事柄を、とりあえずモノのように仮定して話を進めますが、これはかなりの「力技」だといえるでしょう。その結果、もしかしたら大事な諸々のことが切り捨てられたり存在しなかったことにされたり、あるいは当人の考えてもいないような「お話」が生み出されたりするかもしれません。
 私の研究に一貫しているのは、そういった「力技」に疑いの目を向けながら、子どもと社会の関係のありかたについて考え直す、というテーマになります。
 
・研究手法について
 私は社会学の立場から、上記した関心で研究活動を行っています。その際用いるのが「質的研究」という手法で、ごく簡単に言えば数値化されないデータの「質」を読み解く、というものです。これまで用いてきたデータは、インタビューや参与観察の記録、新聞記事、明治・大正時代の学校教師の記録、裁判記録や判決文、ニュース番組やテレビドラマ、漫画などなど、よくいえば多岐に渡り、わるくいえば節操がありません。
 これらの素材を「データ」として扱うわけですが、そこでのスタンスは「ひとびとが経験している世界を読み解く」ということにあります。ある風変わりな方法論を打ち立てた社会学者は、ひとびとが「見えているが、きづいていない」ことを明らかにすると宣言しましたが、そんな発想に共鳴しながら研究を行っています。